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神道と仏教

ハイサイ、皆さん!
今回は、 神社と寺のお話です。

一般に、日本に発生した祖先神や自然神への尊崇を中心とする民族信仰を神道と言います。神社とは神道の神をお祀りするところなんです。
一方仏教とは、紀元前6世紀ごろインドの釈迦によって開かれた、キリスト教・イスラム教とともに世界三大宗教の一つです。寺とは、仏教における宗教施設で、寺院・仏閣も同じ意味です。また、仏教では、悟りを得た者を仏(ほとけ)といい、仏教の礼拝の対象として造られたその仏の彫像・画像を仏像と言います。
仏教は、6世紀前に日本に伝えられると神道と融合し始めたんです。つまり、神宮寺(じんぐうじ)と呼ばれる寺が神社の側に建てられたり、寺のもとに神社が建てられたりしました。これを神仏習合と言います。
その間、日本の神々は、仏が人々を救済するため化身となって権(かり)に現れた姿、権現(ごんげん)であるとする仏教優位の本地垂迹説が広がりました。その神々本来の姿である仏を本地仏と言います。
このような神仏習合は、明治時代初期に出された神仏分離令(神仏習合の慣習を禁止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させる)によって衰えていきました。
このような時代背景の中、昔、沖宮は「沖山三所権現(おきやまさんしょごんげん)」•「本州一品権現(ほんしゅういっぽんごんげん)と呼ばれていましたが、神仏分離令により沖宮と改称されました。本地仏は、阿弥陀如来(あみだにょらい)・薬師如来・十一面観音であったようです。
1459年に尚泰久(しょうたいきゅう)王の命により鐘が鋳造され掛けられており、その鐘は、現在も県立博物館に所蔵されているんですよ。
遥か古の書物にもあるように、沖宮と並んで建っていた寺が臨海寺(りんかいじ)です。
通称「沖の寺」とも呼ばれていた臨海寺は、沖宮の別当寺(べっとうじ)でした。
別当寺とは、神仏習合が許されていた江戸時代以前に、神社を管理するためにおかれた寺で、神宮寺(じんぐうじ)・神護寺(じんごじ)・宮寺(ぐうじ)も同義です。
明治時代の開発に伴い、垣花町に移転しますが沖宮と同様第二次世界大戦で消失してしまい現在は、那覇市曙町に再建されております。

ちなみに、神社に奉仕している者を神職・神主(かんぬし)、神社の長を宮司と言い、寺に奉仕している者を僧侶(そうりょ)または僧侶を親しんで坊さんと言い、寺の首長である僧侶のことを住職と言います。
私もヘアスタイルもあってと思いますが、「お坊さん」と呼ばれることがよくあります。(笑い)

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