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由 緒・歴 史

沖宮の創建は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。
国家安穏・五穀豊穣・陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。
明治四十一年那覇港築港の為・字安里に遷座。
昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失・戦後・沖宮創始の御祭神、即ち霊木の根は
奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座。
昭和五十年八月現在地に御遷座。

沖宮の創建は、尚金福王の時代である1451年という記録があります。
江戸城築城が1457年、コロンブスのアメリカ大陸到達が1492年です。
同じ世紀の出来事と考えると遥かなる歴史に感慨を覚えます。
1713年琉球王府発刊の「琉球王国由来記」によると15世紀中頃に那覇港内で不思議に輝くものを
国王が首里城よりご覧になり、漁夫に命じて探らせると、尋常ならざる古木を得たそうです。
翌夜より水面が輝くことがなかったので、この地に宮社を建て古木をお祀りし、以後、国王始め一般の尊崇をあつめ、
特に中国往来の進貢船や薩摩往来の貢船、離島航路などの航海安全の祈願に尊信されたということです。
琉球舞踊の話になりますが、旅の無事を祈る琉球舞踊「上り口説(ヌブイクドウチ)」の歌詞の一節「沖ヌ側マディ親子兄弟連リティ別ユル…」とある「沖」は、実は沖宮のことです。
琉球の王様をはじめ、江戸方面へ上る多くの人々が、よき旅となるよう沖宮へご参詣された情景に思いを馳せると、歴史とロマンを感じていただけるのではないでしょうか。
沖宮は、創建当時、現在の那覇港にありました。明治41年(1908年)、築港工事の為、琉球八社の一つ安里八幡宮の境内地隣域に遷座されました。
その古式ゆかしい本殿は、昭和13年(1938年)伊東忠太(いとうちゅうた)博士の推挙により国宝に指定されますが、第二次世界大戦により残念ながら焼失してしまいました。
戦後、昭和36年(1961年)に通堂町へ仮遷座し、昭和50年(1975年)に奥武山公園内へ遷座し現在に至ります。